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まだ確信はありませんが、 なんとか無事に逃げ切れたような気がします。 人間誰かを好きになってしまうのは仕方がないが、 付き合うかどうかは別の話ということで、 まあ流されなかった分、私も少しは成長したのかも。 以上意味不明の自画自賛でした。
それなりの付き合いを時間をかけてしてきた友人と飲んでいたら、 なぜか突然、酔っ払ってそういう雰囲気になっていたようだ。 気が付いたら朝だったが、ほとんど覚えていない。 どこでどうやってフラグが立ってしまったのか、本当にわからない。 人生は落とし穴に満ちており、女性は恐ろしい。 逃げて時間が過ぎ去るのを待つしかないが、 なにかあったら後をよろしく頼みます。
杉並・永福町商店街:大学生が活性化策 PR誌刷新、夜のバザール提案 /東京 ◇高千穂大・3年生、ニーズとらえ 客足が遠のき活気を失った杉並区の永福町商店街を再生しようと、地元の高千穂 大学の起業・事業経営コースの学生が半年がかりで活性化案を作り、23日に同商 店街に提案した。今後、案に基づきPR誌のリニューアルやナイトバザールなどを 実施していく。【窪田千代】 ◇会合50回、客・店にアンケ 同商店街は、京王・井の頭線の急行停車駅「永福町」南側と北側の井の頭通り沿 いに広がり、店舗数は151と区内でも規模が大きい。60年代から80年代初め には沿線でも有数のにぎやかさを誇った。しかし、次第に客が減少し、約10年前 に生鮮品を扱うスーパーが撤退した後は「坂道を転げるように人の流れが減った」 と同商店街振興組合理事長でブティック経営、中島安次さん(62)は話す。 同駅には南側に改札口や広場がなく、乗降客の流れが線路や車道で分断されてい た。同組合は03年ごろから南側改札と広場の設置を求める署名活動を展開し、1 0年までに改札が設置されることになった。商店街は「駅のリニューアルを商店街 活性化の契機」ととらえ具体策を模索したが、「何をどうしたら良いのかがわから なかった」と中島さん。そこで地元の中小企業診断士や区産業振興課に相談したと ころ、地域貢献をしたいと考える同大学との協働の話が浮上。区の活性化事業とし て実施することが決まった。 担当したのは、3年生11人。駅前街頭での利用者アンケートや商店40店への 意識調査でニーズや実情を把握し、組合役員とも50回近く会合を重ねた。その結 果、「夜間人口が多いのに、帰宅時に店が閉まっていて利用できない」「商店数は 多いのに『商店不足』と感じている人が多い」などの問題点が浮上した。 提案は、夜間の人の流れを利用し地域や企業も参加できる毎月末の土曜日の「ナ イトバザール」や、既存の商店街PR誌をリニューアルし各店の商品や商店主の魅 力を掲載する「一店逸品運動」など。中島さんは「商店街の実態に合うものが出て くるか心配だったが、データに基づいた良いアイデアが出てきた」と満足そうだっ た。 同大3年の渡辺香織さん(22)は「お金や人を動かすことの責任を実感し、街 を見る目も変わった」と話した。PR誌のリニューアルは4月、ナイトバザール開 始は9月に予定しているという。 毎日新聞 2007年1月24日 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20070124ddlk13040315000c.html
雑誌バンク:都が多摩図書館内に創設へ 大宅文庫しのぐ 東京都教育委員会は24日、雑誌を専門に閲覧サービスを行う「東京マガジンバ ンク」(仮称)を09年度、都立多摩図書館(立川市)内に創設することを決めた。 蔵書目標は国内最大級の約1万6000種類、124万冊。民間の雑誌図書館とし て著名な「大宅壮一文庫」(世田谷区)の約1万種類、66万冊をしのぐ規模にな る。公立図書館としては全国初の取り組みだ。 マガジンバンクの創設は、各図書館の特色化を図る都立図書館改革の一環。都教 委によると、蔵書の内訳は、継続して刊行されている雑誌が約6000種類、既に 終刊・廃刊になった雑誌が約1万種類。多摩図書館と中央図書館(港区)が持つ雑 誌を集約し、新しい雑誌の収集にも力を入れる。すでに多摩図書館に設けられてい る「創刊号コレクション」(約2600種類)も充実させる。 入館は無料で、コピー代は一般図書と同じ1枚25円にする方針。貸し出しはし ない。都教委の担当者は「公立図書館の雑誌のデパートを目指したい」と話してい る。 毎日新聞 2006 年 8 月 24 日 21 時 57 分 (最終更新時間 8 月 24 日 22 時 06 分)
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同人誌企画で、メモしておくことにする。みなさんもなにか思いだしたことがあれ ば、ぜひ教えてください。 <その1> 客「ブレードランナーの原作本を探しているんですが、ありませんか?」 店員1「ブレードランナーですか?」 客「はい、あ、あの映画で、SFの」 店員1「ちょっとわからないんですけど・・・作者名も題名もわからないんですか?」 店員2を呼んでくる 店員2「ブレードランナー? 聞いたことないなあ」 トレーナーを呼んでくる トレーナー「SFでしたらSFの棚で探してください」 <その2> 客1(夫)「”頭のいい人”っていう本ないかな?」 店員「作者名わかりますか」 客1「わかんないんだけど、あの、ちっちゃい本」 店員「文庫サイズのことですか?」 客1「なんかね、赤い本」 店員、文庫本を持ってくるが、これじゃないと云われ、岩波新書を持ってきても再 度わからないと云われ、引き下がる (※PHP新書を持ってこないとわからないのだろう) 客2(妻)「なんであの店員は本屋のくせに商品知識がないのよ!(怒)」 <その3> 客「ダヴィンチコードありますか」 店員1「すみません、作者名わかりますか」 客「すみません、わかりません」 店員2を呼んでくる 店員2「はい?」 客「ダヴィンチコードはどこですか?」 店員2「音楽の棚だと思います」、店員1に向かって「今有名な本だから、これく らい知ってないと」 <その4> 客「”ヒトツバシブンヤ”の本どこですか?」 店員、「は」の棚を探して一言、「ないですねえ」 <その5> 男性トレーナー「これは新書サイズだけど、女性向だから耽美の棚にね。ボーイズ ラブって聞いたことある?ハーレクインみたいなやつ」(←※マチガイ) 男性新人店員「??ハーレクインって何ですか」 トレーナー「・・・(説明できず絶句)えっと、次いこうか」
ストーリーを正当化するのに、あれだけ女性嫌悪を露骨にしておきながら、 結局(生身の)女に還れというのが「誰も知らないラスト」だというのはひどすぎた。 本当は青×赤しかない中身なのに、それを直視していないように思えるのもマズい。
「スプラッシュスター」はなかなかいいと思うが、口パクがしげの秀一風なのはいただけない。
BL作家がいることを知りました。しかも以前のジャンルが自分と似通っている・・・。 サウジで同性愛が弾圧されていることなど、どう思っているのか・・・。
こないだ出かけた時、なにかで(忘れたが)立て替えたカネを返すというメールからはじまって、 忙しければいいんですが?と十回ぐらい繰り返す、気を使うふりの電話。 相談事をされたので、何かできることあれば、と申し出ると、大丈夫です、と手がかからないふり。 お互い駆け引きする歳かよと。まったく。 いかに後腐れなくフェードアウトするか、真剣に考えよう。
今朝の日曜討論を見ていて驚愕したのは、 官房長官が、高齢化しても政府予算を今の規模で維持するのが小さな政府だと発言したこと。 オヤオヤと思っていたら、同じ番組で少子化担当相が、育児支援対策の財源をきかれて、 小さな政府でスリムになって、財源が発生すると返答した。 ・・・。
福井君のtwelve years old ブクオフで105円だったので読んだが、 劇場版パトレイバー+戦闘美少女というあまりな内容に唖然。 この本をリアルだとか骨太とか言ってた連中は、到底軍ヲタではあり得ない。 これと『亡国』とは福井時空の架空戦記モノだと、ようやく了解した。 リアルを気取っている分、エンタテイメントとしてもトホホだが・・・。
みりん 5 醤油 4 水 1 砂糖 好み 驚く調合法。
忘れないように買い物リスト ・切り餅 ・黒豆 ・蒲鉾 ・きんとん ・田作り 雑煮、なます、松前漬けの材料は直前に 大掃除についても留意しておく あと粗大ゴミの処置
一巻 『リーンの翼』の続編でもなければ、TV版『聖戦士ダンバイン』の続編でもない。 バイストン・ウェル・ワールドのひとつの物語である。 そう偉そうに構えたかったのだが、どうも、シャリッとしない。 小生は、常々、小説には適当な長さというものがあって、それは守った方が良いと考えているが、 シャリッと行かせられない己れの非才を嘆息する。が、やるならば、 パッと華を咲かせたいと念じつつかかった。しかし、エエイッ! 間合いが長すぎる! 二巻 民話や伝説は、自然への畏敬の心が書かせたものである。それは、生きていく上での経典にもなった。 しかし、僕のようなエセ都市生活者が想像するものは、地から遊離した妄想でしかなく、 それは、本来的な意味での創作物ではないと直感する。それが真実ならば、 恐れ入るだけの僕だが、今回は、その嫌悪感をなんとか解消したい、と欲望した気配を自覚する。 ウソ八百のリアリズムに昇華する『本来的な方法』を発見したいのは、 僕が、真実、バイストン・ウェルを見たいからなのだろうとは分っている。 三巻 天なるもの地なるものというが、 バイストン・ウェルの場合でも、神話の世界と同様に、 天なるものは俗物すぎる気配があり、 地の底にうごめく者の方が、力があるように感じられる。 それは、自分も農耕民族の一員だったからではないか、 と納得できることである。 四巻 戦場だけで、一冊を終えたいというのは、画面効果を考えてのことだろう。 このあたりに、アニメの演出を長く商売にしてきた小生の悪い癖がある。 やってみて、今回ほど時間を要したこともなかった。文章上のことであるが、 戦争は戦争なのだ、と痛感するのはこのような時である。体力だけの勝負になってしまった。 後半に来るにしたがって、その持続力がなくなると感じさせないように書くのは、 マラソンそのものだった。こういう愚痴は、扉言葉には似合わないか? 五巻 頭を押えられている感覚をどうしようもなかったというのが、 作者にとってのバイストン・ウェル世界である。 それから逃げ出し、バイストン・ウェルと我々の実存をつなげる ストーリーに入りたいという欲望は、第三巻からあった。 その助走が、本巻である。ジョクの離反から陸上世界にオーラロードを設定するには、 時間と体力を要する。それは、スリリングである。 六巻 スリリングなものには、毒がある。それは想定していた。さらに、現実と異次元世 界を重ね合わせてみたいと考えてかなり経つのだが、いざ、このような形で上梓し てみると、その作業の難しさと怪しさに、多少とまどっていると白状しなければな らない。面白さと容易さ。しかし、その背後にあるのは、作者の独善を責める物語 世界の跳梁である。それは、創作作業が、フィクションでないと教えるまやかしな のだから。 七巻 執筆しながら感じることは難しさでしかなく、自分の感性が現実に即応していない のではないか、という恐れである。 そんなことは、この種の戯作には必要ないものであるとも想像するが、そうではあ るまい。現実の方が、一人の作者がかってに物語る世界以上に激しく変転するのを 見て、物語を書くことの苛酷さに茫然としたのがこの巻である。だから逃避の場と してのファンタジーの意義性があるという認識に、かすかな挫折感がある。 八巻 作者が楽しめるものでなければ、公にしてはいけないという感覚はあるが、容易に そうならない。己れの非才故であろう。しかし、バイストン・ウェルに戻ると、と もかく元気が出そうだと感じるのは、ファンタジーの効用であるが、陥穽もある。 好きにやってしまうと危険なのだ。だから、登場してくれる人びとを眺めるよう に、眺めるようにと心積りしている。 九巻 木彫りの場合、彫ろうとする木のなかに、すでに彫るべきものがあるという。今回 の執筆はそれに似て、目の前にある情況の中から、探り出し掘り出したものを並べ た、という感覚がある。体力勝負であった。描くべき対象に負けてしまったら、物 書きにはなれないというきわどさの上にいる実感があった。 十巻 現実の世界の動乱が、このような種類の作品を書くにあたって、これほど障害にな るとは想像もしなかった。これを乗り越えるのに時間を要したが、そのような気配 が読み取れないとするなら、それは小生の勝利である。プロセスは作品のバリュー とは関係がない。 十一巻 ちかい将来、あなたは、バイストン・ウェルから落ちてきたどなたかと出会うかも しれません。そのときは、ぜひ、かれらの貴重な体験から、自分たちの未来にかか わる問題を洞察していただきたいのです。そして、また、突然、消息をたった方が 身近にいらっしゃるなら、その方は、バイストン・ウェルにいらっしゃったでしょ う。ですから、絶望に陥ることだけは堪えて下さるとうれしく思います。
「きゅるるんKissでジャンボ♪」を歌ってもらい、幸せでした。
http://kodokunikki.fc2web.com/diary.html
『グリーンウッド』を読み返していたら、一部の絵がゆうきまさみによく似ていた。
先日、白人の女の子がお父さんバイブを手に「???」とひねりまわしていたのに萌え
岡田斗司夫「ほしのこえは泣けるんですよ! 今日のゲストは作家の市川拓司さんです。この作品をみて10回泣いたそうです、同志です」 ・・・ほんとによく言うよ(呆)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/17/news032.html このIT戦士のコラムには、驚いた。 シンクタンクの女性研究員の数にたいする問題意識があったのだろうが、存在しな いとまで断言したのは、暴論だ。多くの人が、荷宮和子のバブル臭ただよう本を反 証にあげるのも当然だろう。あの本は確かに古いが、今日の「オタク市場に大注 目」といった類の分析と比べて、質的に劣るところはない。 それでも、いくつか考察に値すべき論点はある。たとえば「彼女ら(女性オタク) の実態は謎のままだ」ということは、男性オタクの実態は明るみに出たのだろう。 野村総研の8月のレポートによれば、消費者として定義されたオタク層は、たとえば 「アニメ視聴が日課で録画も頻繁」「同人誌即売会に参加する」などと形容されて いる。これだけで、特定の人間像のパブリックイメージに訴えているのは明らかだ と思うが、今回の報告では、そこに踏み込んで、「カミングアウトしない家庭持ち 仮面オタク」「ガンダムやドラクエの世界観を引きずっているのに気づかず30代に なってしまった社交派強がりオタク」といった、ラベリングされた商品への消費性 向をもつ人物に想定されている属性、すなわち類型化された人間像を明確化したと ころに、分析者のイデオロギーがはっきりと露呈している。 なぜなら、「こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす」、あ るいは「自分の趣味を周りに広めたい」人は、コスメやグルメ、ブランド品や演 劇・映画好きなど、可処分所得の多い層に遍在しており、「アニメ」「アイドル」 「自作PC」といった分野はマイナーにすぎる。要するに、オタクとわざわざ名づけ る必要がないのに、そう呼ぶことで話題作りができるいまの社会環境こそ、興味深 いのである。分析すべきはむしろそちらだ。 アニメも同人誌も、カネの成る木として、クルマや旅行やファッションと同列に扱 われる時代になった、とみる人もいるかもしれない。しかし、それは80年代に言わ れていたことだ。すなわち、「オタクはすべての趣味分野に存在し、あらゆる分野 にあてはまるので、オタク像の再定義が必要」というのは、ポストモダンな差異の ゲームにおいては、サブとメインの区別が無効になり、すべては記号の戯れにすぎ ず、近代的主体の呪縛から解放される、というのとおなじ世界の言説だ。 言い尽されたことだが、バブルが終わって、何が起きたか。少なくともわたしが知 っているのは、湾岸戦争と宮崎事件であった。自閉的で社会性がなく、犯罪者予備 軍で、異性に相手にされないから二次元に逃避する、キモい、早く死んでほしい代 表とされたオタクも、いまや高度消費社会のトップランナーであり、電車男はエル メスに夢中になると、美少女ゲームも同人誌もやめるのである。そのくらい、うす くてわかりやすい、操作しやすい対象に出世した。ありがたいことだ。 秋葉原の浄化がすすめられているのも、こういう一連の流れ、アニメが世界で大人 気だとか、ベネチア・ビエンナーレ日本館、萌え、セカイ系、ライトノベル隆盛な どの大きな潮流の一環である。「システムによるオタク世界の植民地化」とでもい っておこう。好むと好まざるとにかかわらず、そういう現実を批評していかなけれ ばならない。 というわけで、最後に残された理解困難で未開拓の領域が、IT戦士のいう女性オタ クなのだろう。好きな人たちのなかで、自分の好きなものを追求していたのが、も う放っておいてもらえずに、社会から介入をうける。男性オタクと同じように、世 間が用意した物語をあてはめられ、家庭が築けるかどうかとか、社会性があるかな いかという説話論的構造に取り込まれるのである。とっくに崩壊した共同幻想が亡 霊のように呼び戻され、あたかもそういう人たちがいるかのような演技がはじま る。自称・女性オタクの代表の登場も楽しみだ。 だからわたしは、とにかく古い資料を集めることにする。
対(カップル)幻想の関係になって、気を使われるのがなぜイヤなのか。それは相 手が、言いたいことをいえず我慢しているのがわかるからだ。 言わせないように、深入りさせないようにしているのはわたしの責任だと言われる かもしれない。だが、スネに傷持つ身同士、介入されると困るのはお互いさま。ど ちらがより自分勝手かなどと議論してもはじまらない。 なぜわたしなどの機嫌をとったり、心を読んだりするのか。それは必要もないのに 過大評価しているからであって、自分で自分を苦しめる一人相撲に陥っているの は、あきらかではないか。 よく、何を考えているかわからないといわれるが、当然、たいしたことは考えてい ない。たとえば、昨日の場合なら、キラー・カンの「ふるさと真っ赤っか c/w 上 越線は男の鉄路」のサイン入ポスターを見つけて喜んでいるだけなのである。いく らそう説明しても、わかってもらえない。なにか深い意味があるのだろうなどという。 わたしは相手の趣味を理解できなくても、立ち入ろうとは思わない。スルーするだ けのことだ。理解を深めたいなどとエゴで迫られるよりも、ふつうの男女関係のよ うに、外見と財布の中身で判断されて、石ころのように扱われるほうがましだ。 恋人に迷惑をかけてしまうくらいなら、はやく孤独死したい。そう考える程度の、 本当にくだらない人間なのだ。クズはクズらしく、オナニーして勝手に消えておこう。
バラエティミート(笑) + スープストック + ブーケガルニ(味のポイント、よいものを) + 赤だし一さじ(多くしない) + 酒か赤ワイン(多め) + 豚足(隠し味)←最近発見 + 牛脂(やや多く用意する必要あり) + 塩気が足りなければ補充
×キラ本(擬人化に非ず)を読んで、たとえショタが規制されたとしても、抜け道はあるものだと、蒙が開かれる思いがした。
えみくり日常主義恐るべし。
http://www.kentsu.co.jp/tokyo/news/p01597.html ■ 京王井の頭線の2駅で整備計画 杉並区と京王電鉄 ■ 杉並区と京王電鉄は、京王井の頭線西永福と永福町の2駅で、 駅舎改良や南北自由通路、駅前広場の整備を計画している。西永福駅は 本年度実施設計を行い、18〜19年度の2カ年で工事を進める。また永福町駅は、 19年度に実施設計を進め、20〜21年度の工事を予定している。 西永福駅(杉並区永福3ノ36ノ1)の整備は、鉄道駅移動円滑化施設整備事業 駅舎改良)と都市再生交通拠点整備事業(自由通路の新設・駅前広場整備) の補助を受け行う。 現在の駅舎は南側1カ所に改札口があるのみで、エレベーターやエスカレーター を備えていない。このため、駅舎を橋上化し、北口を新設して、南北両側からの 利用を可能にする。また、南北自由通路に加え、エレベーター3基やエスカレーター5基、 だれでもトイレなどバリアフリー施設も設置する。 南口の駅前広場には新たにバス停留所を設け、駅利用者と周辺通行車両の利便性を向上させる。 工事は2期に分割予定。詳細なスケジュールは、京王電鉄が今月にも委託する実施設計の中で決めていく。 一方、永福町駅(永福2ノ60ノ31)の整備は、本年度中に関係機関との基本合意を完了、 18年度に国土交通省・東京都・杉並区の3者で検討会を設けるとともに、区を主体に 基本構想の策定調査を実施していく。 同駅の現在の改札口は北口1カ所で、隣接する 交番の一角にわずかなスペースがあるのみ。駅前広場は不十分な状態。このため駅前広場の 再整備や南口の開設、南北自由通路の新設などを行うことを想定している。 (建通新聞東京8月3日付3面掲載)
tp://dassie-dame.seesaa.net/article/4310566.html この古い記事には、初読時から、引っかかっていた。BLは不快だという内容は、本 当によくある偏見と決めつけで、特に語るべきものはないが、この書き手の発想の しかたが気になるのだ。 具体的にいえば、著者は「エロ本を子供の手がとどく売り場に置くな」と、一見妥 当に思える主張をしている。それに対し、コメント欄の、BLは単なるエロじゃない という反応は、じつは反論になっていない。エロ本を隔離すべしという論点に、応 答していないからだ。 著者によれば、はじめからエロシーンを主目的としたのがエロ漫画で、普通の漫画 にエッチなシーンがある「エッチな漫画」と区別される、という。この発想は、 「わいせつ文書とは、その内容がいたずらに性欲を興奮または刺激せしめ・・・」 という、最高裁判例(いわゆるチャタレイ裁判の猥褻物三要件)と基本的に同じで ある。こういうポルノ批判の、どこが問題なのか? いま流通している18禁のエロメディアは、性欲目的の内容です、とすぐわかるよう につくられている。「エロ」カテゴリーにどこまでもあてはまるブツです、と商品 が自己主張するのは、作り手が、自分たちの考える、エロ本やAVというカテゴリー にできるだけ忠実に、商品化しているからだ。その細心の努力と熱意は、驚くべき ものだ。 つまり、「いたずらに性欲を興奮刺激するもの」という所与のカテゴリーが、商品 の形式と内容を決める。ここにおいて、「エロとそうでないもの」を懸命に区別す る思考こそが、ポルノの商品化を無限に加速してしまう。その意味で、著者の発想 は、最高裁によるわいせつの定義とあわせ、この社会で、性欲を目的とする商品の 大量生産−大量消費がくりかえされることと、密接な共犯関係にある。ここが問題 なのである。 ところが、BL本は男からすると、男性向エロ本のような自己主張をしていない、曖 昧なものに見える。これまで、「いたずらに性欲を興奮刺激するもの」とは、男が 当然もつべき性欲を基準として判断されてきた。だからこの記事のように、表紙イ ラストの絵が裸だとかいう「証拠」を挙げ、失笑や憤激を買うのである。 すなわち、ここで問われたのは、男の性欲のあり方にほかならず、女ははじめから 不在だったのだ。 男性には女性の性欲はわからない。より精確にいえば、他人の性欲のあり方など、 誰にもわからない。だからこそ、「ゆがんだ性欲」などと決めつけるステレオタイ プに、需要が集まる。ステレオタイプを利用すれば、傍観者でも、ただちに判った つもりになれる。ホモもやおいも分かりきったもので、これ以上理解する必要はな い、と「常識」サイドにいる自分が優位に感じられるのだろう。 以上の欠点を踏まえた上でも、なお、著者の基本的疑念は議論に値すると、私は考 える。BL本は隔離すべきエロ本なのだろうか。むろん、BLにはエロも含まれるが、 男性向ポルノの性欲目的のあり方とは違う。所与の「エロ」カテゴリー自体が、異 なる論理でつくり上げられているからだ。 しかし私は、その違いをジェンダーからのみ説明しようとする言説にも、抵抗を感じる。 たとえば、人と人の執着についての自分の好みを、ダイレクトに作品に出すと、性 交場面が多くなる作家がいる。だから、エロシーンは、恋愛関係描写の必然的な付 属物にすぎない、という主張がありえる。 とはいえ、BLはエロではなく、人間関係や恋愛を書いているのだ、とまで主張され ると、わいせつか芸術かという争いと同様の、神学論争に陥ってしまう。最大の落 とし穴は、女性は恋愛モノ中毒、というジェンダー・ステレオタイプを強化するこ とである。 ここで私が整理し確認しておきたいと思うのは、次の三点だ。 (1)やおいはエロを主目的にしていない、という言説は、男性向ポルノといっし ょにするな、という意味なら、その通りである。何がエロ本かを判断する社会的基 準が、旧来の男性性欲を根拠にする限り、BL規制論は妥当性を欠く。この基準が変 わらないうちは、私はBLのゾーニング(隔離)に賛成しない。 (2)しかし、BL全盛の今日、その言説を、額面どおりに受け取ることはもうでき ない。男性向ポルノとは異なる形で、性欲を目的とする消費が行われている。BLと いう用語が人口に膾炙した段階で、即物的な性交描写が含まれることは、折りこみ 済みになったはずだ。もし精神性を主眼に置いていると主張する人がいたら、それ はJUNE時代のことだと応答したい。 (3)けれども、エロシーンは、BLの型にはまった構成要素の一部でしかないの も、また事実である。つまり、その手の描写に何を託し、何を快楽として引き出す かは、個人によってまったく異なる。気分が高揚する人・内面に沈潜する人・穏や かに癒される人・刺激され自慰に使う人など、さまざまだろう。BLは、定式的にパ ターン化されることで、逆に個人の多様な欲求にこたえる、ゆるい入れ物になっ た。腐男子が大勢いることも、その例証である。 つまるところ、BLは、男性向ポルノ以外の何ものかであるが、女性向だからどうこ う、という定義づけはできない。ポルノ批判論者たちは、女性差別的なポルノと、 官能をもたらす性描写とを区別したがる。前者を否定する一方、後者をエロチカな どと名づけ、どうにか救い出そうと試みてきた。しかし、肝心の判断基準は、「バ クシーシ山下のAVはみんな嫌悪するはず」といった、多数決論でしかなかった。 多数決、つまり社会が性商品を許容する範囲は、時代と文脈に応じて変わる。ここ のところ、男性向ポルノがなぜ問題になっているかといえば、それは根本的に、男 がレイプする性であることと関係している。 BLにも差別的な表現は散見されるが、社会的に隔離したり規制すべきとまでは思え ない。今までのところ腐女子は、BL本の影響で、美少(青)年を襲って殺したりし てこなかったからだ。 要するに、現時点では、BLを不快に感じるのも、快楽を得るのも、個人の体験に帰 属する問題としかみなされ得ない。BLの存在は、表現の内容でポルノとエロチカを 区別するコンセンサスを得るのは不可能という事実を、われわれに突きつけている のではないか。
『シニカル理性批判』を読み、あまりに身につまされてしまう。
ドムが「ジェットストリームアタック!!!」 長生きはするもんじゃないな。
もしもしー、えつこですけれども えっと、いっこお願いがあって あのー、もしよかったら革張りの方 順番並べたりしてもらえないかなと思って電話したんですけど 連絡くださーい ※闇の勢力の陰謀だろうか。